眠れる森のぼや

純粋に感じたこと全て

働きアリ

蟻とか蜂とか。

すごくみんな働いてそうだけど

実は2割くらい怠けものがいるらしい。

 

なぜなら、もしみんなが働けば絶滅する可能性が高まるから。

 

外に働きにでた奴が外で他の何かと出くわして

仮に全部やられてしまったとしても、

怠け者が巣に残ってるからその団体は生存できる。ってこと。

 

そしてもし、

働かないものだけになってしまったら、

その働かないものの中で

働きもの・働かないものの分化?が始まる。

 

きっと、

「私が抜けたらこの団体やってけるんだろうか」

とか心配しながらやめたけれど、

後輩がスーパーサイヤ化して

なんとか続いてってる、みたいなのと

同じ感覚なんだろうな~って思う。

 

 

蟻と蜂、ヒトよりもシンプルだけれど

逆に言えば、より必要なものだけを集約してる。

つまり、最低その機能さえあれば

社会性生物として生きていけるってこと。(だと思ってる)

 

だから、その法則は

複雑すぎて見えなくなってるけれど

同じ社会を築くヒトにも当てはまること。

 

小さな社会性生物を見ることで

ヒトの集団の大きなルールを見ることができる。

 

この、社会性生物の最小単位はおそらく微生物で、

だから私は微生物の研究して考察することで

ヒトの集団を同時に考えちゃう。

 

怠け者を滅すると集団は死んじゃうのね、とか。

 

 

人間の感じ方や考え方に差があるのだって、

きっとその方が種の生存に有利になるからだと思う。

 

予期せぬことが起きたりしたときに

誰かが適応できる可能性が高いし。

みんな同じだと一気に絶滅しちゃうかもだから。

 

 

つまりは、

社会(集団)が正しくあるためには

一人一人がそれぞれ自分の考えを

持たないといけないってことだと思う。

 

もし、自分は地球を救いたい!!!

ってみんながみんな思ってしまったら、

そこらへんのお店の従業員とか

全部消えてしまっちゃう気がする

 

 

そんなことを感じていても、

どうしても自分は他人の考えに腹たったりするし

自分の意見にみんなを染めたくなっちゃう。

 

お前の考えあっさ、アホさにも限界がある...

そんなんで私に指図するな、偉そうに語るな...

とかかなり酷いことすら思う。

 

私の考えには採用できない。

そいういう否定はしていいだろうけど、

私はそれを超えて相手の人格自体を拒絶しちゃう。

 

すごくいろんなヒトと仲良くしてるけど

その中にはこんなに何も考えずにのうのうと生きて...って

ヒトの怠け者達をある意味見下してしまっている。

 

怠け者は社会に必要だし、

破壊したら集団が崩壊するというのにね。

 

この、怠け者へのもどかしさと、

私のこの激情の逃がし方が分からないのと、

あまり友達を悪く思いたくない気持ちと...

たくさんの葛藤と戦う。

 

もっと頭いい考え方と感じ方が欲しい。